
Vaundyの「ずっとラブソング」は、その名の通り“ラブソング”という最も普遍的なジャンルを正面から扱った一曲だ。奇をてらわず、派手なサウンドプロダクションにも頼らず、シンプルな言葉と旋律に全てを託す。そこに浮かび上がるのは、誰もが経験する愛の喜びと痛み、そしてその余韻に宿る普遍性だ。
シンプルだから響く言葉
歌詞は驚くほどストレートだ。比喩や隠喩に覆い隠さず、「好き」「ずっと」という普遍的な言葉が繰り返される。それは一見単純に思えるが、実際にはとても難しい試みである。なぜならシンプルな言葉は、わざとらしさや空虚さを露呈しやすいからだ。しかし、Vaundyの声に宿る温度がそれを救い、むしろ聴き手の心にリアルな痛みとやさしさを同時に響かせる。
音の余白に宿る“記憶”
「ずっとラブソング」のアレンジは徹底してミニマルだ。ピアノとリズム、そして空間を活かしたサウンドデザインが、歌声を際立たせる。その余白は、リスナーの心に“自分だけの物語”を投影させる装置となる。聴く者は、自らの恋愛や別れ、あるいはまだ見ぬ未来の愛をそこに重ね合わせる。音楽がただ聴かれるだけでなく、人生の一部として生きる瞬間がここにある。
普遍と個が交わる場所
ラブソングは無数に存在するが、その多くは時代とともに消費されていく。だが「ずっとラブソング」は、その“ありふれた普遍性”を逆手に取り、誰の人生にも寄り添う形で存在し続ける可能性を示した。個人の経験と普遍の感情が交わるその場所に、この楽曲の真価がある。
Vaundyが差し出す“静かな衝撃”
「ずっとラブソング」は、派手な仕掛けではなく、静かに心に染み込む余韻を武器にしている。それは一過性のヒットではなく、ふとした瞬間に思い出され、繰り返し聴きたくなる種類の歌だ。Vaundyはこの曲を通じて、“ラブソングがラブソングであり続ける理由”を提示しているのかもしれない。