
Doechiiの“語らなさ”の中にある鋭さ
Doechiiの音楽には、いつも一定の距離感がある。
自分のことを語っているのに、感情を押しつけてこない。
むしろ彼女は、“感じすぎる”ことを冷静に分析しようとしている。それが『Anxiety』という曲にもよく表れている。
多くのアーティストが「不安」や「トラウマ」を語るとき、それは癒しや救済、あるいは共感を前提としたものになる。
でも、Doechiiは違う。
彼女は自分の“anxiety(不安)”を、そのまま提示することを選ぶ。装飾も解決もない。
ただ「これが私」と差し出すように、淡々と、でも鋭く突き刺してくる。
リリックと音の“ズレ”が描く内面
『Anxiety』の魅力は、その**音と言葉の“温度差”**にある。
曲全体のビートは、比較的抑えられたテンション。
激しく叫ぶわけでもなく、泣き崩れるような演出もない。
けれどその中で、繰り返される「I got anxiety」のフレーズがリズムに乗って淡々と続くことで、逆にその“切実さ”が浮かび上がってくる。
Doechiiは、不安や孤独をドラマチックに見せない。
それは、彼女が感情を消費させたくないからだ。
“わかって”とも“慰めて”とも言わない。ただ、語る。
それだけでこの曲は、十分に暴力的なほどの強度を持っている。
そして何より、彼女のフロウは決して安定しない。
意図的に揺らいで、ズレて、はみ出す。
その不規則さが、まるで心の揺らぎを“音の構造”として表しているかのようだ。
感情を消費させないDoechiiの姿勢
『Anxiety』は、カミングアウトでも救済でもない。
それはむしろ、**「私はこういう人間で、それは直すものじゃない」**という宣言だ。
共感や癒しに回収されないこの曲は、聴く者にとって不親切かもしれない。
でも、その不親切さこそがリアルだ。
Doechiiは、不安や痛みを語ることで拍手を求めるようなアーティストじゃない。
彼女はむしろ、それらを**“脆さのまま武器にする”**ことを選んでいる。
そしてその選択こそが、この曲を唯一無二の存在にしている。