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  • 「あれから1年。誰も忘れられない、ケンドリックとドレイクのビーフ。」

    「あれから1年。誰も忘れられない、ケンドリックとドレイクのビーフ。」

    chromatic japan|特集記事

    ドレイク vs ケンドリック──あの春、ヒップホップは剥き出しになった。


    ライムじゃない。

    これは、名誉と本能の戦争だった。

    2024年5月。
    Kendrick LamarとDrake、ヒップホップ界を代表するふたりが、限界を超えたビーフを展開した。
    一触即発の冷戦状態だった彼らが、ついに火をつけたのは5月3日夜。

    Drakeが放った「Family Matters」。
    その24分後、Kendrickが「Meet the Grahams」で真っ向から人格を攻撃。
    翌日にはDJ Mustardがプロデュースした「Not Like Us」で、とどめを刺すような祝祭の一撃を決めた。

    あれから一年。
    あの週がいまだに時代の震源地として語られ続けている理由は、たしかにある。


    “ライムの戦い”ではなく、”人間性の崩し合い”

    このビーフの異質さは、暴露合戦の過激さにある。
    Kendrickは「Meet the Grahams」でDrakeの家族ひとり一人に語りかけ、
    母親に対してはこう歌った:

    “I think n****s like him should die”(「ああいう奴は死ぬべきだ」)

    一方Drakeは、TDE周辺の性加害疑惑を取り上げ、Kendrickを間接的に責め立てた。

    両者とも、女性への暴力や育児放棄、性的逸脱といった、
    音楽とは別次元の倫理問題をリリックに取り込んだ。
    それは、“誰が優れたMCか”ではなく、
    “誰が人として終わっているか”の殴り合いだった。


    数字で見る「Not Like Us」の衝撃

    • Billboard Hot 100で初登場1位獲得
    • 全米で9×プラチナ認定(900万ユニット以上)
    • スーパーボウル、NBA試合、政界イベントでも頻繁に使用
    • KendrickのGrand National Tourで毎公演セットリスト入り
    • YouTubeでは現在までに1億再生超え

    Drakeの「Family Matters」も高評価を受けたが、
    その上をいく文化現象となったのが「Not Like Us」だった。


    訴訟という“第2ラウンド”

    2024年11月、DrakeはUMG(ユニバーサル・ミュージック・グループ)を提訴。
    「Not Like Us」が、不自然な形でバイラルヒットとなったとして、
    UMG・Spotify・iHeartRadioが共謀したと主張。

    彼の法廷資料には、Kendrickのスーパーボウルでのパフォーマンス映像も「名誉毀損の証拠」として含まれていた。

    ただし、Spotify・iHeartRadioとはすでに和解済み。
    現在はUMGとの対立が継続中。

    Drakeの訴訟は「アーティストの権利を守る動き」とも解釈されるが、
    多くのファンは、“悔しさの表出”に過ぎないと冷ややかに見ている。


    「勝ち負け」ではなく「信仰」へ変化したファンダム

    このビーフの最も厄介な余波は、“スタン文化”の過熱だ。

    Redditでは「r/DarkKenny」のようなKendrick礼賛コミュニティが拡大し、
    X(旧Twitter)では“Drakeが勝った証拠”が日々ポストされ続ける。
    両者のSpotify月間リスナー数は、まるで戦争スコアのように扱われる。

    さらに、「Meet the Grahams」で語られた隠し子疑惑に反応し、
    ネット上ではランダムな子どもの写真が“検証”対象になる始末。

    そして何より危ういのは、
    性加害やDVといったテーマさえ、勝ち負けの材料に変質してしまったことだ。


    chromatic的考察:このビーフが示した「音楽の暴走」

    この闘いが教えてくれたのは、
    音楽が人を癒すと同時に、人を傷つける武器にもなりうるということ。

    ケンドリックとドレイクは、ともにラップの力を信じて戦った。
    だがその過程で、彼ら自身もまた、メディアとスタン文化の“消費対象”になってしまったのかもしれない。

    私たちはいつから、
    “誰の曲が好きか”ではなく、
    “誰の人格を守るか”で音楽を聴くようになったのだろう。


    編集部セレクト|もう一度聴くべき3曲

    • Kendrick Lamar – “Meet the Grahams”
    • Drake – “Family Matters”
    • Kendrick Lamar – “Not Like Us”

    ChromaticHallOfFame #KendrickVsDrake #BeefBeyondBars #SoundAndConsequences
  • John Mayer|戦略と本能の境界線:彼のギターに宿る現代性

    John Mayer|戦略と本能の境界線:彼のギターに宿る現代性

    設計された“感情”に、僕らは揺さぶられる

    ジョン・メイヤーのギターは、どこか冷たい。
    でも、その冷たさの中に、どうしようもなく人間的なぬくもりが潜んでいる。

    彼は、クラプトンやヘンドリックスの系譜として語られることが多い。
    でも本質はそこじゃない。

    彼は、ギターを“鳴らす”のではなく、“設計”している。
    コード進行の起伏、音色の湿度、リズムの揺らぎ、空気の密度。
    それらをすべて設計図に落とし込んだ上で、あたかも“偶然”弾いたかのように見せる。

    その演奏は、戦略なのか?
    それとも、本能か?

    答えは、たぶんその“境界線”にある。


    https://www.youtube.com/watch?v=Fo4746d1L4Y

    “Neon”に込められた、神経質なまでのバランス感覚

    《Neon》を初めて聴いたとき、あなたは「うまい」と思うだろう。
    でも、何度も聴くうちに、その“うまさ”が怖くなってくる。

    ベースノートは親指で押さえ、
    高音部はスラップで跳ね、
    中音域はミュートしたままリズムを刻み続ける。

    手の構造を完全に無視したような動き。
    しかもそれを、自然に、涼しい顔でやってのける。

    ジョン・メイヤーは、「ラブソングの入り口」にすら設計を持ち込む。
    この徹底された“意識”こそが、彼のギターの現代性なのだ。

    感情を押し付けず、“温度差”で泣かせるギター

    クラプトンの音が“叫び”なら、
    ジョン・メイヤーの音は“無言の視線”だ。

    彼は泣かせようとはしない。
    むしろ「泣くかどうかは、あなたに任せる」と言わんばかりに、感情の“余白”を残す。

    《Gravity》はまさにその象徴。
    重力というブルースを、彼はただそこに“置く”。

    感情の起伏はない。盛り上げもしない。
    でも、その無表情な音に、リスナーの心が勝手に動かされる。

    それは、もはや“ギタリスト”というより、空間の設計者だ。

    アンチロックスターというスタイル

    ジョン・メイヤーは、ロックスターだ。
    だけど彼は、ロックスターの“顔”を持たない。

    SNSでは皮肉っぽく、
    ライブではバンドに溶け込み、
    ステージでも“語らない”ことを選ぶ。

    でも、それでも彼の音は、なぜか主役になる。
    「前に出ないことで、前に出る」──そんな逆説的な在り方が、
    SNS時代の“疲れた耳”にちょうどいいのかもしれない。

    彼はクラプトンの“痛み”を引き継ぐのではなく、
    “設計と理解”に置き換えて、次の世代へとブルースを渡している。


    まとめ


    戦略と本能の“ど真ん中”を歩く音

    ジョン・メイヤーの音は、考えてから感じる。
    「美しい」より先に、「うまい」「冷静」「設計されている」と感じる。

    でも、その思考の先に、ふと感情がやってくる。

    クラプトンが“痛みのブルース”を弾いたように、
    メイヤーは“温度差のブルース”を弾いている。

    それはたぶん、現代の僕らにちょうどいい“距離感”なのかもしれない。

    この記事は音楽メディア「クロマティック」によって執筆されました。