やめたいのに、やめられない──『This Love』が語る“愛の後遺症”

“この恋が、僕に重くのしかかっている”
――そう始まる『This Love』は、決してロマンチックな愛の歌ではない。
むしろこれは、身体を通して刻まれる“依存”と“崩壊”の記録だ。
どこかで「終わらせなければ」と思いながらも、抜け出せない。
Maroon 5のこの代表曲は、そんな矛盾した快楽を、研ぎ澄まされたポップ・グルーヴで鳴らしている。

叫ばない“激情”──声に宿る中毒性

Adam Levineのボーカルは、荒々しくも冷静だ。
“彼女はもう戻らない”というフレーズを淡々と、まるで呪文のように繰り返す
その声には、怒りでも泣き叫ぶ悲しみでもなく、中毒者の諦念がにじむ。
ファルセットに切り替わる瞬間、理性が抜け落ち、快楽だけが残る。
言葉では「ダメだ」と分かっていても、身体はまだ求めている──そんな矛盾が、声に焼きついている。

構成が仕掛ける“繰り返し”の罠

『This Love』の構成は、シンプルでありながら非常に中毒性が高い。
ギターのカッティング、乾いたビート、そして短く刻まれるコーラスライン。
すべてが繰り返し=離れられなさを強調するために設計されている。
心地よいグルーヴに乗っていながら、歌詞の内容はどんどん荒んでいく。
まるで「毒をキャンディーで包んだような構成」だ。

MVに映る、快楽の代償

この曲のMVは、セクシュアルな映像で話題を呼んだ。
Adamと女性の絡み合いは、美しさよりも**むしろ「虚しさ」や「麻痺」**を連想させる。
視線は合っているのに、心はどこか別の場所にいる。
その映像は、「愛し合っている」よりも「ただ確認し合っている」に近い。
肉体が近づけば近づくほど、心は遠ざかっていく──この曲が本当に描いているのは、その不条理さなのだ。

“愛の後遺症”として残るもの

『This Love』は、きれいに終われない恋の歌だ。
むしろ「壊れていたからこそ、記憶に刻まれた」ような愛のあり方。
それは決して正しくないし、幸福でもない。
でも、人が最もリアルに“愛”を実感するのは、そういう瞬間だったりする
やめたいのに、やめられない。
その痛みこそが、“愛の後遺症”として、今も心に残り続ける。

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